宇和島真珠とは|日本トップクラスの産地・宇和海の歴史と現在
Home > 真珠の選び方 > 宇和島真珠とは|宇和海の真珠養殖の歴史と現在

宇和島真珠とは|宇和海の真珠養殖の歴史と現在

真珠の産地といえば三重県、と思っていませんか。

真珠の養殖は三重で始まりました。御木本幸吉らが真円真珠の養殖を成功させた地であり、その印象がいまも残っています。

ただ、いま日本のアコヤ真珠の多くは、愛媛県と長崎県の海で育てられています。2025年(令和7年)の統計では、この2県で全国の4分の3以上。三重県は3番目で、愛媛の半分に届きません。

その愛媛の中心にあるのが、宇和島市と愛南町に広がる宇和海です。ここで採れる真珠が「宇和島真珠」と呼ばれています。

宇和海は、日本トップクラスの生産量と、高品質の真珠で知られる産地です。愛媛県は全国の生産量のおよそ3分の1(2025年)、生産額では4割近く(2024年)を占めています。

このページでは、宇和海で真珠養殖がどう始まり、どんな道をたどって今に至るのかを、公的な統計と地元の記録からたどります。

四国の地図の中の宇和島市

1986年度1993年度2001年度2019年度都道府県別真珠浜揚量シェアグラフ
『えひめ発 真珠ものがたり』 中国四国農政局愛媛統計情報事務所編 愛媛農林統計協会、
海面漁業生産統計調査(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/index.html)より

1964年から2018年までの宇和島での真珠生産量の推移
えひめの水産統計「真珠養殖」(http://www.pref.ehime.jp/h37100/toukei/index.html)より

宇和海で真珠養殖が始まる(1907年〜1945年)

宇和海での養殖の始まり(1907年〜1920年)

小西左金吾のポートレイト
小西左金吾(1879~1941)

1907年(明治40年)頃、
小西左金吾という宇和島生まれの青年が、三重から海女を数名雇い、宇和海で天然真珠の収穫を始めます。

宇和海に生息するアコヤ貝が、とても美しい真珠を生み出すことに注目してのことでした。

その頃は、御木本幸吉らが三重で、真円真珠の養殖を始めた時代です。
三重での成功を追いかけるように、小西左金吾は、宇和島での真珠養殖を目指すことになります。

1913年(大正2年)、
小西左金吾は愛媛と高知の境目にあたる一帯に養殖場をつくり、真珠養殖を本格的にスタートします。
実用的な核入れの手法を確立した藤田昌世も、同じ頃この海域で事業を行っていました。

この養殖場で、小西左金吾は美しい真円真珠を生み出すことに成功し、宇和島真珠の美しさを日本中に知らしめたのです。

しかし、1920年(大正9年)、
この一帯を大洪水が襲い、小西左金吾の養殖場は壊滅的な被害を受け、真珠貝は全滅してしまいました。

小西左金吾は、失意のうちに宇和島を去ってしまいますが、彼の名は宇和島真珠のパイオニアとして歴史に名を刻んでいます。

宇和島で浜揚げされた真珠

戦前の宇和島真珠(1920年代〜1945年)

その後、小西左金吾の事業を受け継いだ、大月菊男、向田助一、向田伊之一などが、宇和海の漁場で高品質真珠を産出し、宇和島の真珠は次第に有名になっていきます。

しかし、第二次世界大戦に突入し、真珠は贅沢品として生産を禁止され、宇和島の真珠生産は休止状態となってしまいました。

日本一の産地になるまで(1945年〜1984年)

戦後の真珠養殖(1945年〜1955年)

1948年(昭和23年)に再開された宇和島の真珠養殖は、順調に生産量を伸ばしていきます。
この頃は、大月・向田の2つの養殖場が、宇和海真珠養殖の中心的役割を果たしていました。

三重からの業者が進出(1956年〜1961年)

1955年(昭和30年)頃、
三重県では、真珠養殖業者の急増加により、漁場が過密となり、真珠貝の大量死や品質の低下が発生していました。

そこで、三重の業者は県外への進出を計画します。その進出先となったのが、著しい成果をあげていた愛媛の海でした。

県外からの業者の流入を受け、宇和海での真珠養殖は、急成長を遂げていきます。

1961年(昭和36年)には、
真珠生産量で、三重県に次ぐ第二位の生産量を挙げるようになります。

地元の真珠養殖業者の増加(1962年〜1966年)

1964年から1983年までの宇和島での真珠生産量の推移
えひめの水産統計「真珠養殖」(http://www.pref.ehime.jp/h37100/toukei/index.html)より

真珠養殖は、真珠貝を育てる母貝業者と、真珠貝を使って真珠を作る養殖業者とに分かれています。

真珠養殖の急拡大にともなって、
真珠貝を育てる母貝の生産が、宇和島の地元漁民の手によって始められ、大きな利益を生み出しました。

増加していく母貝養殖業者は、ハイリスクながら、より高い利益を生むことが可能な、真珠養殖業者への転換を希望するようになります。
しかし、真珠養殖をするために漁場を使うには、県の認可が必要です。

数多くの地元業者の要望の声に応え、
1962年(昭和37年)、愛媛県が、真珠母貝養殖から真珠養殖への転換を許可します。

これにより、戦前からの大規模業者と、三重県などの県外からの業者に占められていた真珠養殖事業に、
地元の中小事業者が数多く参加することとなり、真珠王国愛媛の基礎が築き上げられることとなりました。

真珠不況(1967年〜1972年)

アコヤ真珠の海外への輸出は、戦後、右肩上がりに成長を続けてきました。

ところが、1967年(昭和42年)のはじめに、戦後では初めて輸出価格が下落。
その後も下がり続け、1967年前半には、本格的な真珠不況の様相をあらわしてきます。

1967年秋の真珠価格は大暴落し、その後5年もの長きにわたり、真珠不況が続きます。

愛媛の真珠養殖業界は壊滅的な打撃を受け、三重県から進出してきた業者の中では、倒産、撤退が相次ぎます。

真珠不況の原因

業界に壊滅的な打撃を与えた真珠不況は、真珠生産量が無秩序に増え続けたことによって起こったといわれます。
増え続ける生産物に対しては、質量両面での規制が必要です。つまり以下の2点です。

  • 品質を下げないこと
  • 生産量をコントロールすること

1967年の真珠大不況のときは、これとは逆のことが起こります。低品質のものを含む、大量の真珠が市場に出回ったのです。

海外のバイヤーは日本産真珠に対して不信感を抱いて買い控えをし、階段を転げ落ちるような価格の下落を招きました。

不況からの復活(1972年〜1984年)

真珠のネックレスイメージ

1967年(昭和42年)からはじまった真珠不況は、1972年頃(昭和47年)頃には元の水準に回復するようになりました。
業界全体による、真珠生産量の減産と、余剰真珠の保管調整により、価格が安定して真珠への信頼が回復されたためです。

不況期に、全国では多くの真珠業者が、転業、廃業することになりました。

それにくらべて、宇和島の真珠業者は、転廃業が比較的少なく、
不況が終わったあとの回復期において、めざましい発展をとげていきます。

愛媛の真珠生産者が不況を耐え抜き、発展を遂げた理由は、以下のような理由があげられます。

  • 家族経営の小規模生産者が多かったこと
  • 小規模生産者には、漁協・漁連の指導が行き届いたこと
  • 効率的な中サイズの真珠を生産していたこと
  • 母貝の大生産地であり、安く母貝を購入できたこと
  • 真珠養殖に適した、美しい漁場があったこと

三重から来た業者の多くが撤退したことで、この後は、地元の中小業者を中心とした生産が行われていきます。

日本一の真珠生産地へ(1974年)

1974年(昭和49年)、愛媛の真珠生産量は、三重県を抜いて日本一の座に躍り上がりました。
その後、一時を除いて2020年ごろまで全国一位が続きます(2019年は全国の41%)。
いまの宇和海の状況は、このページの最後にまとめています。

繁栄と、2度の危機(1985年〜現在)

バブル期(1985年〜1995年)

1986年度都道府県別真珠浜揚量シェアグラフ
『えひめ発 真珠ものがたり』 中国四国農政局愛媛統計情報事務所編 愛媛農林統計協会より

1993年度都道府県別真珠浜揚量シェアグラフ
『えひめ発 真珠ものがたり』 中国四国農政局愛媛統計情報事務所編 愛媛農林統計協会より

1984年から2000年までの宇和島での真珠生産量の推移
えひめの水産統計「真珠養殖」(http://www.pref.ehime.jp/h37100/toukei/index.html)より

1970年代から、真珠生産量、生産額は順調に増え続け、1980年代には、後にバブル経済と呼ばれる好景気に突入します。
1970年代後半から1990年代初頭まで、宇和島の生産者は多大な利益をあげ、地元は好景気にわきました。

しかし、1991年(平成3年)のバブルの崩壊から数年遅れて、真珠価格は下落していきます。

アコヤ貝大量へい死からの真珠不況へ(1996年〜2000年)

バブル崩壊に続いて、宇和島の真珠養殖に歴史的な危機が訪れます。
1996年(平成8年)からはじまった、アコヤ貝の大量へい死です。

1994年(平成6年)、宇和海と大分の一部の漁場で、原因不明のアコヤ貝へい死が確認されます。
1996年(平成8年)には、へい死は愛媛全域および全国へと広がり、愛媛の養殖真珠のうち、20%〜50%がへい死したと言われます。

当時は様々なへい死の原因が検討され、長く原因が分からないままでしたが、
現在では、ウイルスによる感染症が原因だったと言われています。

アコヤ貝大量へい死により、愛媛県の真珠生産量は、全盛期の三分の一以下に落ち込みました。
さらに、生産量の減少にも関わらず、販売単価も下落します。

販売単価の下落には、バブル崩壊の影響とあわせて、
1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で、神戸に集中する真珠商社や真珠加工業者が被災した影響もあると言われています。

この時代、アコヤ貝大量へい死や、生産量生産額の減少にも関わらず、愛媛の真珠養殖業者数の減少は、20%程度に留まったと言われます。

苦難の時代にも、愛媛の養殖業者は、真珠養殖を続けていきます。

安定期(2001年〜2018年)

2001年度都道府県別真珠浜揚量シェアグラフ
『えひめ発 真珠ものがたり』 中国四国農政局愛媛統計情報事務所編 愛媛農林統計協会より

2001年から2018年までの宇和島での真珠生産量の推移
えひめの水産統計「真珠養殖」(http://www.pref.ehime.jp/h37100/toukei/index.html)より

真珠養殖業者の様々な努力により、2000年頃には、アコヤ貝のへい死は減少します。
2001年(平成13年)頃には生産量が持ち直し、産地としての勢いを取り戻しました。

その後、2010年代までは、
全盛期の半分程度の水準ながら大きく崩れることなく、美しい真珠が生産され続けました。

2019年度都道府県別真珠浜揚量シェアグラフ
海面漁業生産統計調査より(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/index.html)

アコヤガイの大量へい死(2019年〜)

比較的安定した状態が続いていた宇和島の真珠養殖業に、新たな危機が到来します。

2019年(令和元年)6月下旬に三重県で養殖中の母貝に、8月上旬には愛媛県で養殖中の稚貝に、大量へい死が発生しました。
翌2020年も同じような状態でへい死が続きます。

この2019年からのへい死については、2022年(令和4年)2月に、水産研究・教育機構が原因と考えられるウイルスを特定しました。

ただし、原因はそれだけではありません。
急激な環境変化や餌不足など複合的な要因がへい死率を高めていると推測されており、ウイルスの特定がそのまま解決を意味するわけではない、というのが現在の見方です。

この影響もあり、全国の真珠生産量は2021年(令和3年)以降、12トン前後まで落ち込みました。
その後の回復については、このページの最後にまとめています。

いまの宇和海と、宇和島真珠の特徴

いまの宇和海と、これから

回復しています。
愛媛県の生産量は2023年に3,673キロまで落ち、記録が残る1964年以降で最低になりました。そこから2024年は4,095キロ、2025年(令和7年)は4,600キロ(速報値・前年比12.3%増)まで戻っています。
中国四国農政局は「徐々に核入れする母貝を確保できつつあり、生産者も海水温度上昇に対応する工夫をしていると聞く」として、2026年産も上向く可能性があると見ています。

一珠あたりの評価は、全国の平均より高い。
年をそろえて2024年で見ると、愛媛県は全国の生産量の33%に対し、生産額では38%を占めています。
量の割合より、額の割合のほうが高い。一珠あたりの単価が全国の平均を上回っている、ということです。

2025年の生産量は長崎県が全国の40%、愛媛県が35%、三重県が15%(速報値)。生産額の2025年分はまだ公表されていません。

この先を分けるのは、作り手です。
全国で真珠養殖を営む経営体は、2018年の615から2023年には474へ。この5年だけで23%減りました。水産庁も、生産体制が弱くなることで安定した供給に支障が出ることを懸念しています。

ただ、流れは変わりつつあります。
水産庁は、中国市場を中心とした需要の増加と生産量の減少により、真珠の単価が高騰しているとしています。愛媛県漁協によれば、2023年度の入札会の平均単価は、へい死が起きる前の2018年度の3.5倍
同漁協は「入札価格が高値で推移しているため生産者が出荷を増やし、数量が増えたのではないか」とも見ています。

採算が取れる状態に戻ったことが、担い手や設備投資につながるかどうか。そこが次の焦点です。

原因のウイルスは特定され、稚貝の異常死も減りつつあります。この先を分けるのは、その技術を受け継ぐ人がどれだけ残るかです。価格の回復は、その追い風になります。

宇和島真珠の特徴

宇和島の海イメージ

宇和海が全国有数の真珠生産量を誇るようになったのには、以下のような理由があるかと思います。

  • 真珠生産に最適な、リアス式海岸にかこまれた美しい海であること
  • 真珠養殖に使う母貝の有数の産地であり、地元の母貝をそのまま使えること
  • 家族経営の小規模事業者が多く、きめ細かい養殖技術を持ち、不況につよいこと

とりわけ、真珠養殖に携わる人々が長年積み重ねてきた技術が、いまの宇和海の真珠を支えています。

宇和海は、これまでにも何度か大きな危機に見舞われ、そのたびに立ち直ってきた海です。
この美しい海とともに、宇和島の真珠がこれからも育まれ続けていくことを願っています。

以上、宇和島の養殖真珠の歴史について解説していきました。

パールネックレス ハンドブック 表紙

産地のことが分かると、真珠の見方も変わります

宇和海で育った真珠を、実際にどう見分けるのか。てり・巻き・キズ・色の見方を1冊にまとめた「パールネックレス ハンドブック」を無料でお届けしています。しつこい営業のご連絡はいたしません。

無料のハンドブックを申し込む →

参考文献

水産庁「真珠養殖をめぐる情勢について」令和8年6月

農林水産省「令和7年漁業・養殖業生産統計(速報値)」令和8年5月29日公表

愛媛新聞「愛媛の2025年真珠生産量回復 12.3%増4600キロ、全国2位維持」2026年5月29日

『愛媛県真珠養殖漁業協同組合史 -組合発足20周年記念-』
愛媛県真珠養殖漁業協同組合,1980

『真珠産業史 真円真珠発明100年記念』
真珠新聞社,2007

『宇和海における真珠養殖の変遷』
鳥飼行博,東海大学紀要. 教養学部 (49), 21-90, 2019-03-30

『えひめ発 真珠ものがたり』
中国四国農政局愛媛統計情報事務所 編 愛媛農林統計協会

えひめの水産統計「真珠養殖」

海面漁業生産統計調査

愛媛県生涯学習センター ウェブサイト
データベース『えひめの記憶』 わがふるさとと愛媛学Ⅲ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~ ワークショップ 日本一の真珠養殖(村上昭四郎)
データベース『えひめの記憶』愛媛県史人物(平成元年2月28日発行)